空間は歪んでいた
サンセットが本当に美しい街、
サンディエゴです。
子供の頃、
道端に落ちてる石や小さな虫、
草や花、
そんな小さきものたちに
心奪われて、
夢中になって土を掘り返したり、
新しい発見に心躍らせていた。
我が子達も今まさにそんな時期だが、
おそらく誰もが
そんな子供時代を
歩んできたことだろう。
そしてやがて、
成長するにつれて、
そんなものには目もくれず、
もっと遠くに
もっと大きいものに
興味の対象が移って行く。
また、
大人になってからも
例えば妊娠してから、
街にこんなに妊婦がいたことに
気づいた、など
そんな経験がないだろうか。
見えなかったものが、
知ることで見えるようになった経験。
ある本に
(確か「お金の学校」坂口恭平著だったかな)
これが正に
「空間が歪んでいることである」と
書かれてあって
はっとした。
単に
「見慣れたから、興味がなくなった」
という説明も存在するが、
日常の中で
「空間が歪んでいる」から、
見えていたものが見えなくなったり、
見えなかったものが
見えるようになったりするのだと。
アイシュタインが
「宇宙は常に膨張してる」
つまり、宇宙空間の大きさは
変わり続けているという話を
全く理解できなかったのだか、
空間の大きさが変わる、ということは
こういうことなのかもしれないと、
これなら理解出来ると、
妙に嬉しくなった。
(でも相対性理論は理解できないし、
私に理解できる日がくることはないだろう(笑))
小さきものたちに
よく気がつく子供たちと
私が生きてる空間のスケールは
まるで違うのだ。
(もちろん、どっちが素晴らしいと
いう話ではない)
子供たちは、
半径1mの世界がとてつもなく
広い空間を生きており、
小さなものの
一々が目につき、
違いを理解し、
味わい楽しめる。
私は
半径20kmくらい
(どうだろ?もっと広いかな?
わからん(笑))の世界での
違いを楽しめる力がある。
一人一人によって、
生きてる空間の大きさが違うって
なんだかすごいことだった。
0コメント